その土地の風景

もうすぐ消えてなくなりそうなものを記録します。と、趣味の話。

千葉 栄町周辺 赤線


千葉のマッドシティにきました笑
千葉市はモノレールが走っていたり大学あったりと都市です。大通りは電線もなく都市感を感じます。

千葉神社です

そもそも栄町は旧国鉄千葉駅があったところで、戦後再建の際に朝鮮系ヤクザに占拠され、やむなく駅の場所を移した。という何とも言えない場所ですw 激しい抗争だったのでしょう。。前例はなく、全国でここだけみたいです。



ということでコリアンタウン、チャイナタウン、ともに活発です。華僑総会なる建物もありました。


ハナ銀行発見しました。

このあたり、モダンな遊郭作りの建物が多いです。
しかし、どれも現役な感じがなく、営業しているのはほんの一部でした。

この良いのか悪いのかのドサクサ感、、、東京から40分なのに時が止まっているかのよう。

埼玉県 秩父市

有名なかき氷店や、長瀞の川下りなどなど夏は特に行きたくなる場所です。

よく山登りのような格好をして行く人がいるそうですが、地元のひと曰くそんな山はない、とのことでした。

 

現在でも秩父には有名なベンチャーウイスキーブランドなどなど商業産業がありますが

昔は養蚕、織物産業が盛んだったそうです。

そんな産業の街で起きた秩父事件は布製品の大暴落がきっかけです。



 

なので一昔前はもっとにぎやかだった、ということですね。

ちなみに昔は、知知父と書きます

 

市内には浦山ダムというのがあり、ダムの底には村が沈んでいます。

周りの村も立ち退きをして廃村になっている集落もありました。夜なんで写真の写りが悪いですが…。ただの肝試しになってしまいました・・・。




いろりもありました。

 

商店街は看板建築などいい景色でした。是非是非観光に!

 

東京都江東区 洲崎パラダイス跡

明治以降、根津遊郭の移転先となったのが、ここ洲崎弁天町でした。現在は東陽一丁目あたりです。
300件ほどの遊郭がありましたが空襲で消滅、その後「洲崎パラダイス」と言う名前で再興、吉原以上の人気を博したそうです。

「洲崎パラダイス赤信号」という映画のロケ地に使われ、当時の様子も記録されています。

その後売春防止法により70年の歴史に幕を閉じた、と言う流れです。
今は住宅街ですが、さすが関東屈指の歓楽街、面影ありまくりです。
これ、リフォームしたんだろうなって言う感じの不自然な位置に窓が二つあったり、二階の出窓がとんでもない形だったりw



あまり写真を撮れてないんですが、一枚目の交差点あたりが遊郭地帯の大門があったあたりという話です。映画にも出てくる場所です。
なんだかこれだけ変わっていると嘘のような幻のような…。
その奥に続き道は大門通りと書いてありました。

現在アパホテルになっている敷地はその昔はホテル東陽というホテルでした。その前は「本金楼」という洲崎屈指の遊郭だったそうです。



当時から残っているであろうバラック居酒屋もありました。


北方領土やなにやら怪しい看板も立っていました。看板自体香ばしいですが、その下にある落書きもなかなか香ばしかったです…。

「大賀楼」というこれまた屈指の遊郭跡がそのまま残っているとのことだったので見たかったのですが、3.11の地震で取り壊されてしまったそうです。
共産党議員の個人事務所としても使われていたりwと何かと有名な建物でした。建物自体は看板建築でとても当時を感じられる美しい建物です。検索してみてください。

そんな街ですが、オリンピック開催予定の豊洲からコリアンタウンを抜け、歩いて30分の位置にあります。
わかりませんが、考えなくても再開発区域な気がします。
文化財とは言いにくいものですが、美を意識した建物たちは勿体ないなと思います。
なんか一個補強して残してくれ〜〜と思いながら帰りました。

東京都 錦糸町 花壇街

錦糸町花壇街

 

 

 

この周辺はいわゆる朝鮮部落として有名な地帯でしたが



今ではフィリピンパブがひしめく地帯になっております。

色々なお店が多く、今時味わえない感覚があります。



JRAも近くにあることからかなーり胡散臭い感じですが

その感じがたまらないので散策しました。

 

 

 



治安も今でもよくないと言われている錦糸町ですが

 

西の有楽町、東の錦糸町というように錦糸町を映画の街にしようとしていた過去があるんですよ。

 

でもすごいですよね。西が有楽町なんて。

 


渋谷新宿なんてちょっと前は畑ですもんね…。

 

神奈川県横浜市 伊勢佐木町

伊勢佐木町です。地元の方はザキと読んでいるので地元ぶってザキと言っています。

その昔は「いせさぎ」でした。

遊郭があったが関内に遊郭が移転、遊郭の通り道、興行街として栄えていました。その勢いは浅草、千日前と並ぶ規模だったそうです。



伊勢佐木を語るのに欠かせないのは、「根岸屋」「メリーさん」。







根岸屋というのは現在の中区若葉町にあった大衆居酒屋だそうで和食洋食ウイスキーワイン日本酒なんでも飲める居酒屋で、

また当時珍しかった24時間営業で、バンドも入り、米軍もヤクザも愚連隊も警察も食べにきていたと言う根岸屋。

そこには客を取りにくる娼婦が店の中やら前に立っており、外人専門の娼婦や目が見えない娼婦、色々な人がいたそうです。

その中で客引きをしていたのがメリーさん。今35歳〜くらいの人なら見たことがある人も多々いらっしゃるのかと思います。

顔はおしろいで真っ白、目の周りは真っ黒、貴婦人のような真っ白なドレスと言う出で立ちから一度や二度、週刊誌に載ったそうです(町の名物おじさんみたいなノリです、ミナミにも豚を散歩してるおっちゃんがいましたよねw)。

メリーさんについて詳しくは「ヨコハマメリー」をご覧頂くことを強くオススメします!悲しくも美しい、戦争と時代が作ってしまった運命です。



そんなにぎわった根岸屋も町の衰退とともに昭和55年に閉店、その後火事になってしまい消失。

現在は違う場所で血を引く方が営業しているそうです。(元々前からあった分店との話です)







伊勢佐木モールなんて昼間通っても多国籍な感じとなんかアレな感じがあってとても好きな町です。

このままでいてほしい伊勢佐木町でした。


https://youtu.be/pEBwH9oMOAE

神奈川県横浜市 黄金町

横浜市、黄金町です。
なんだか昭和のにおいがするのにやっぱりお洒落な横浜市



ここは赤線跡ではなく、おそらく青線でした。
せまいプレハブ小屋に女性が並ぶように立っていたそうです。ちょんの間ってやつですね。
近くに赤線があったので、色々な理由でそこで働けない女性たちがここに集まったそうです。また犯罪の巣窟で、麻薬取引なども盛んだったと聞きました。
小料理屋やスナックと称し営業を続けていたそうです。もちろん、中ではお酒も料理も楽しめたそうですよ!

2005年に手入れが入り、現在では曙町に移りました。



現在では安く賃借し、若い人がお店を出したりしているそうです。写真はそのエリアの現在です。

元歓楽街とはいえ、やはり客足が遠のいているような、静かな街になっていました。

神奈川県横浜市 福富町

本日は私が大好きな横浜の街をご紹介したいと思います。
横浜のくくりでは大きすぎますので今回は福富町に限定します。



どうでしょう、雰囲気は満点ですよね!香港か!?と思うような風景もあります。韓国人街なんですけどねw


ちなみにごみ溜めはURの裏です。URがこの感じって結構珍しい気がするんですけど…。

福富町の歴史ですが、
関内周辺が風俗店営業禁止区域になり、除外区域に風俗店が次々に移転しました。
その除外区域の一つが福富町です。
それまでは兵舎倉庫の地域だったそうで、それを皮切りに赤線地帯として賑やかになっていったそうです。ここ30年でも横浜市内でもっとも風俗店が多い地域だそうです。
ちなみにハマスタと伊勢佐木も実は遊郭があった場所なんですよ!



それと平行してコリアンタウン化も進んでいます。経営者の高齢化が進みテナントを賃貸し、韓国人に貸したことからここ一帯のコリアンタウン化が進んでいるようです。現在も拡大を続けています。
関係ないですけどニューヨークのリトルイタリーは隣接するチャイナタウンに浸食されています。チャイナとコリアンはどこの国でもコミュニティの大きさが半端じゃないです。

2012年には殺人事件も起き、物騒なイメージがつきまといますが融資団体や協会が活性化のために催しなどなどやってるみたいですよ〜。
正常化とか言ってもその協会自体が…ってことも当たり前ですけどね^^;



伊勢佐木のすぐ隣ですし、一昔前はそれはそれはにぎわったそうです。10年、20年で常識や感覚なんて変わってしまいますね。

というわけでゴチャ感が良い福富町でした。